人物紹介

ダウン症の天才書家金澤 翔子 書家(小蘭)

この世に降り立った天使

金澤 泰子・金澤 翔子

 「知的障害児を持って、分かったことの一つは、〝この世は優しさに充ちている〟ということでした」。
翔子さんの母、金澤泰子さんは著書『天使の正体』の中にこう記しています。
20歳のときに東京・銀座で開催した、翔子さんの初の個展が金澤さん親子の運命を変えました。
「私たち親子は、これまで本当に多くの方に助けられてきました。なので、その方々に『翔子がこんなに大きくなりました』と、お伝えしたかっただけのことでした」と泰子さん。「この個展は、私が翔子にしてあげられる、最後のプレゼントかなと考えていました。私の亡き後は、どなたにどのような形でお世話になるのか、あるいは施設に引き取られるのか分かりませんが、この個展の図録を携えて『20歳のときに、こんな書展をした娘です。どうぞよろしく……』という、名刺代わりのつもりの個展でした」。
個展には予想を遥かに超える大勢の人々が、絶え間なく会場に詰めかけました。1週間で1000人を超える人たちの多くが、翔子さんの書を見ているうちに涙ぐんでいました。翔子さんと話をしているうちに、はらはらと涙を流し、それをみた翔子さんがもらい泣きする光景がありました。その後、巡回展を行い、延べ4000人以上の人たちが翔子さんの書を見たといいます。さらに2009年の建長寺(神奈川県鎌倉市)展には、なんと8000人あまりが来場したそうで。そして、泰子さんはそのときにダウン症の赤ちゃんを抱いた100人以上の母親たちの間を、翔子さんと廻りました。
「大丈夫。こんなに元気で、輝き、想像を絶するほど優しい娘に成長するのよ」との一念で。
ダウン症と告知された泰子さんの苦悩の日々や、さまざまな出来事、そして翔子さんを書家として育てた母の思いは、著書『天使がこの世に降り立てば』に詳しく紹介されています。
(参考:『愛にはじまる』・『天使の正体』・『天使がこの世に降り立てば』)

金澤 泰子(かなざわ・やすこ)
1943年生まれ。書道を柳田泰雲に師事。’77年結婚。’85年6月、翔子を誕生するもダウン症と診断される。’90年「久が原書道教室」をスタート。’98年書道「泰書會」に入会、柳田泰山に師事。雅号は金澤蘭鳳。著書『愛にはじまる』(ビジネス社)、『天使がこの世に降り立てば』、『天使の正体』(かまくら春秋社)。
金澤翔子(かなざわ・しょうこ)
1985年生まれ。生まれてすぐダウン症と診断される。5歳のときに母に師事し書道を始める。10歳のときに「般若心経」を書き、同年全日本学生書道連盟展に「花」を出品、19歳のときに雅号「小蘭」を取得。2005年、銀座書廊で初めての個展を主催。

Gateau d'ange ガトーダンジュ多以良 泉己 宇佐美 総子

幸せをはこぶ 天使のパン

多以良 泉己

 パン屋さんの1日は、まだ太陽の昇らないうちからはじまります。
北鎌倉の山頂にある小さな工房で、多以良泉己さんは、1度に1つずつ手ごねでパンを作ります。食べてくれる人のことを考えながら、想いを込めて丁寧に。そのため泉己さんが作ることができるのは三時間に一つだけ。パンが出来上がると、妻の宇佐美総子さんが手紙を添えてお客様のもとへと送り出します。パンを食べた方からは、〈元気が出た〉〈やさしい気持ちになった〉といったよろこびの声が、続々とふたりのもとに届いています。
競輪選手だった泉己さんは、2005年、レース中に他選手の落車に巻き込まれ、脳と頸髄を損傷。生死の境をさまよい、医師からは「一生寝たきりになるかもしれない」と宣告されました。その日から総子さんは泉己さんの横に簡易ベッドを置き、付き添い看護をはじめました。その後、懸命のリハビリによって、奇跡的に歩けるまでに回復。退院後、自宅でできるリハビリとしてパン作りを提案したのは総子さんでした。はじめは総子さんのために焼いていたパンでしたが、友人や知人に食べてもらっているうちに泉己さんの焼くパンのファンができ、それがすこしずつ増えて、やがて全国各地から注文が届くようになりました。その結果、テレビや雑誌などさまざまなメディアで取り上げられることも増えてきました。そして泉己さんが心を込めて焼くパンは、いつからか〝天使のパン〟と呼ばれるようになり、気がつけば今では九年待ちに――。
「パンが届くのを待っている間に手紙やメールをくれる方もいるんです。『天使さんへ』と手紙をくださる方、10年後の自分にメッセージを書く方など、さまざまです」と総子さん。ときには、誰にも相談できないことを打ち明けてくれる方や、商品を発送した後も文通を続けている方もいるのだそうです。
2010年には、ふたりの出会いから、レースでの事故、パン作りを始めるきっかけなどを綴った本『幸せをはこぶ 天使のパン』が出版されました。「たまたま日本でこの本を手にとった方が、台湾で闘病している友人に贈ったところ、勇気づけられたのでぜひ台湾でも出版したいと翻訳を申し出てくれました」と総子さん。不思議な縁から、台湾版の出版が決まりました。さらには、日本に留学していた韓国の方から、「韓国でも知ってほしいので、ぜひ翻訳させてほしい」と総子さんのもとにメールが届いたのをきっかけに、昨年末には韓国でも出版されました。
ふたりの想いをのせた〝天使のパン〟は、これからもたくさんの人々に幸せをはこんでくれそうです。

多以良 泉己
1975年3月16日生まれ。元競輪選手(84期・平塚バンク)。2005年3月に総子さんと結婚。その5ヶ月後、レース中の事故で、脳、頸髄を損傷。首から下が麻痺し、医師から“寝たきり”宣告を受けるも、懸命のリハビリで奇跡的に歩けるまで回復。リハビリの一環として作り始めたパンやケーキが、口コミやインターネットで評判に。現在も高次脳機能障害と脳脊髄液減少症、左脚麻痺の後遺症を抱えながら、パン作りを続けている。「シチズン・オブ・ザ・イヤー2009」授賞。2010年「日本障害者自転車競技大会 日本パラサイクリング選手権トラック競技大会」に初出場し、「1キロタイムトライアル」(C4)優勝。2011年、2012年の同大会で自己ベストを更新。
宇佐美 総子
2005年3月に競輪選手だった泉己さんと結婚。事故後、懸命に夫を看病し、全身麻痺状態から杖を使って歩けるまで支え続けた。現在、パンの注文受付、発送など夫のサポート業務をする傍ら、カウンセリング活動、環境・平和イベントなどで司会業をこなす。モデル、女優、舞踏家としても幅広く活動。

加藤拓三

日本の伝統を後世につたえて

加藤拓三

今後も世界遺産と共演することで、自然、建造物、環境、人に対して敬意をはらい、自らの音のクオリティー(質)の高さを世界遺産の前で行うことで、常に挑戦と向上、そして夢を持ち続けたいです。そして、日本の伝統を、後継者の一人として、地域の方々とコミュニケーションをとりながら後世に伝えていく人生を送ろうと考えています。

医師・地球人進化クリエーター ドクタードルフィン松久 正

鎌倉ドクタードルフィン診療所院長。日本整形外科学会認定整形外科専門医、日本医師会認定健康スポーツ医、米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック、ガンステッド・カイロプラクティック・オブ・ジャパン代表。慶応義塾大学医学部卒業後、地元の三重大学整形外科に入局、整形外科医として活躍。その後渡米し、ガンステッド・カイロプラクティックを修得、世界で3人目となる“ガンステッド・カイロプラクティック・アンバサダー”を授与される。2009年、難病に希望を与える「鎌倉ドクタードルフィン診療所」を開院。新次元の医療“ドルフィンメディスン”を開拓。

世界を今までにない愛と調和でいっぱいにすること。
健康で幸せになるカギは神経の流れ

松久 正
松久正公演の様子

松久正公演の様子

新規患者の診療予約が六年半後までいっぱいで、およそ5000名以上の患者が待機しているという医師がいます(2012年8月現在)。
神奈川県鎌倉市にある[鎌倉ドクタードルフィン診療所]の院長で、〝奇跡を起こす医療〟を実践することで話題となった松久正医師です。松久さんが医師をめざしたのは小学生のころ。「人を治し、元気にしたい」という思いだったといいます。
慶応大学医学部を卒業後、整形外科医として大学病院や総合病院の診療に携わって痛感したのは、「いまの医療は、薬と手術で体をごまかし、ほんとうの意味で病気を治していない」という危機感でした。
そんなとき、アメリカに[カイロプラクティック医学]があることを知り、周囲の反対をおしきって渡米、紆余曲折の末に出会ったのが[ガンステッド・カイロプラクティック]でした。それから十年間、診療や勉学を重ねて能力を磨き、帰国後にガンステッド・カイロプラクティックとエネルギー医学(量子学)を融合させた[ドルフィンメディスン]を確立しました。
「ドルフィンメディスンでは、神経の流れを正すのに、非常に精密なテクニックを必要とします。これは、世界じゅうで私以外にはできる人がいない治療です」。
現在、多発性硬化症やパーキンソン病など、さまざまな難病の患者が治療に訪れるクリニックだが、ここにいたるまでにひとつのきっかけがありました。
開業して1年たったときに訪れた女性の「ステージ3の子宮頸ガンだと言われました」という一言だった。「困ったな」と思いながらも、確信があったそうです。
「人間というのは、自分で自分の身体を正す力を持っています。神経の流れが正しくなれば、自分で正常にしていけるんですよ」と、身体とエネルギーの仕組みについて丁寧に説明したあと、「私の治療を受けるかどうかは自分で選択してください」と言いました。
彼女は松久医師のもとに通いはじめて3ヶ月後、「先生、ガン細胞がなくなっていました」と検査結果を報告に。この経験が松久医師に自信をつけることになり、身体が自分で治していく能力があることをさらに実感しました。
「どうかみなさん、いままでの常識と概念を捨ててください。そして生まれ変わってください」。

アースデイ飛騨高山2013にて講演会をさせていただくにあたり

“飛騨高山から地球へ、そして宇宙へ”
このたび、細井卓美様より、講演会の要請を受け、飛騨高山に『愛と調和』をお届けに参る松久 正でございます。
自著「Dr.ドルフィンの地球人革命」を読んでいただき、そこで今まさに地球が必要とするエネルギーを感じ取っていただき、今回のご縁を賜りました。
地球は心や体の病気、人生の悩みが課題として与えられるとても、とても大変な訓練場です。
大変な病気や悩みは、全て、皆さん自身が、魂レベルで自分を進化させるために選択した課題にすぎません。
それらが大きければ大きい程、貴方は勇敢な挑戦者なのです。それらの課題をこなす過程で、「気づき」や「学び」が生まれます。
その結果、貴方は、病気や悩みと無理なく共存できるようになり、または、病気や悩みの存在意義がなくなり、それらが消えていくのです。
それを理解する地球人が今後増えていくことこそが、まさに、『愛と調和』を生み出すのです。
飛騨高山から地球をそして宇宙を。

地球人進化クリエーター 医師 松久 正

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